自分にできるだろうか。

こんにちは!doriです。

介護病棟で、約3年くらいいたでしょうか。

そこで、大人になってから初めて、親友と呼べる同僚と出会いました。

他愛ない話や、私も彼女も洋服好きなこともあり、一緒に買い物に行ったり、うちでご飯を食べたり、楽しい日々を過ごしました。

そしてまた、私は一般病棟へ移動になり、かつてお世話になった方たちとまた一緒に働くことになりました。

一般病棟は、病状が安定しているお年寄りだけでなく、重病の方やけがをされている方などがおられ、今まで以上に気を遣う毎日でしたが、やりがいもあり、一生懸命仕事をしていたと思います。

そして、入社して6年半が経ったころ、実家の家業を一人で賄っていた母に限界が近づいていました。

 

一人でやるには体力的にしんどい仕事です。病院で、私なりに精一杯働いたと思った私は、迷わず家業を手伝う決心をしました。

家業の仕事は、それまでも休みの日には手伝っていましたし、高校生の頃からやっていたことでしたので、難なく覚えていきました。

何より、母の負担を減らせたことが、私のモチベーションになっていました。

 

ある日、私の叔父さんが入院することになり、経済的にあまり余裕のない家でしたので、さて治療費はどうしようということになりました。

困っている叔母の顔を見ていると、何かできないかと思うようになりました。

しかし、うちも余裕などなく、金銭面の援助はできません。

叔父は腎臓が悪かったので、何か利用できる制度はないかと思ったのです。

それを調べて教えてあげようと思っていると、病院のソーシャルワーカーに利用できる制度など聞いたそうです。

 

そこで初めて、自分が当然利用できる制度があるにも関わらず、知らないというだけでその恩恵に預かれない人のために、勉強して教えてあげたい、思うようになったのです。

それには、社会福祉士という資格を取らなくてはいけませんでした。しかも、大学卒業の要件を満たし、国家試験に合格しなければなれないと知り、私には無理だと諦めていました。

でも、諦めきれない。

海外で生活している姉と、旦那さんが久しぶりに帰ってきていた時、意を決して相談してみました。みんなで晩御飯を食べていた時、

”私、通信大学で社会福祉士の資格を取りたい!”というと、初めは難色を示していた母も、”じゃ、やってみたら”と言ってくれました。

 

それから、私の最大の挑戦が始まりました。

今日は、ここまで。

次回は、通信大学に入学してからのことを書きますね。

では、また👋